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真田ゆかりの地をめぐる歴史旅〜群馬・長野 真田道〜 第1回 群馬県東吾妻町

NHK大河ドラマ「真田丸」始まりました。その物語の導入部分の歴史を、真田ゆかりの道に沿って歴ドル(歴史アイドル)で、信州上田観光大使でもある小日向えりさんに3回に分け触れていただきます。

真田街道地図

長野県上田市から群馬県沼田市までの道は、真田氏(真田幸村の祖父・幸隆、父・昌幸、兄・信之)が統治した地を結ぶ道で、通称「真田道」と呼ばれています。現在の国道144号、145号にあたりますが、まずは大河ドラマのスタート、群馬県東吾妻町にある岩櫃城(いわびつじょう)本丸跡から。物語とともに真田の地に思いを馳せてみて下さい。

小日向えり

PROFILE 小日向えり(こひなたえり)

1988年生まれ。奈良県出身。横浜国立大学教育人間科学部卒業。歴ドル(歴史アイドル)の草分け的存在。信州上田観光大使の他、関ヶ原観光大使や会津親善大使も務めさまざまなメディアやイベントを通じて、女性ならではの視点で歴史の奥深さ、おもしろさを世に広めている。初詣は毎年、真田信繁戦死の地である安居神社に参っている。近著に「いざ、真田の聖地へ」(主婦と生活社)がある。ITmediaでも連載中。

いざ、真田の聖地へ

「真田丸」、いよいよ船出のときを迎えました。
真田丸というタイトルは、真田信繁が大坂冬の陣で大坂城に築いた出城からとっていて、また、戦国の荒波に立ち向かう真田一族を一艘の船にたとえた2つの意味があるそう。三谷幸喜さんお得意の群像劇で、信繁や家族、真田一族ひとりひとりを描き出すそうですよ。

さて、物語は武田家滅亡から始まりました。
長篠の戦い敗戦以降、武田の勢いにかげりが見えたことで、次々と寝返りが現れ、武田家は弱体化していきます。勝頼はついには義理の弟(妹の旦那・木曽義昌)にまで裏切られる始末。
これ以上戦うことができなくなった武田家は、織田・徳川軍から逃れるため新府城で軍議を開きます。
真田昌幸の岩櫃城か、小山田信茂の岩殿城(いわどのじょう)、どちらに逃げるのが得策か?
昌幸が必死に岩櫃城を勧めるなか、勝頼苦渋の決断の末、選ばれたのは岩殿城でした。 勝頼は新府城に火をつけて、山梨県大月市の岩殿城へ逃亡します。しかし、悲しいかな勝頼は結局小山田にも裏切られてしまい、天目山で自刃に至るわけです。

歴史に「if」はありませんが、真田ファンとしてはこのとき「もし岩櫃城に逃げていたら…」と考えずにいられません。
岩櫃城は群馬県吾妻郡東吾妻町にある山城です。
真田ゆかりの地というと、信州を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、真田昌幸の最大領地の大幅は上州がしめています。特に「沼田」は真田を語るに外せないスポットです。

真田昌幸の最大版図

幸村も幼少の頃過ごしたかも!? 真田家にゆかり深いお城なんです。

幸村も幼少の頃過ごしたかも!? 真田家にゆかり深いお城なんです。

第1回は、真田街道中腹にあり、「真田丸」でもホットなお城・岩櫃城をご紹介します。
西上野を信仰する武田家の拠点となった岩櫃城。真田幸隆公が得意の内部工作で切り崩し、上田城築城以前の真田氏の本城となったお城。
信幸・信繁兄弟が幼少時代を過ごした場所と言われています。
岩櫃城は吾妻川の北岸に聳える標高802.6mの岩櫃山、中腹の標高594m付近に築かれています。 史跡巡りなら中腹まででもいいのですが、せっかくなら山の頂まで! と、私は初の岩櫃城攻めに意気込みました。
噂によると、岩櫃山の山頂は足元に岩場が連なる険しい山。登山にも人気の山なのですが、過去に何度か滑落死している登山客がいるそうなのです。そこで、今東吾妻町の地域起こし「あずみの会」のボランティアガイドのもと、登山することにしました。
東吾妻町に到着し、まずは岩櫃城が正面から見えるスポットまで車を飛ばして、写真撮影。

岩櫃山

山というよりも、大きな岩! 見るからに断崖絶壁です。岩櫃山の名前の由来は源頼朝が浅間に狩りに行く途中、この山を見て、「お櫃に似ている」と言ったからだそうです。頼朝さん、お腹すいていたのでしょうか。
いよいよ城攻め。正面口からのぼっていって15分くらいで、本丸跡はなんなくクリアです。そのあと「竪堀」や「堀切」「腰曲輪」などの遺構をチェックしました。
登山口から本丸にかけても、空堀や土塁の遺構が残っているので登りながらよく地形を見ていきます。

本丸跡 1 本丸跡 2

親切なガイドで安心して登れました。ありがとうございました!

本丸跡には、居館跡。ここに「地炉の間」があった!

本丸の一角に「居館 御殿跡」がありました。この辺りで小さい頃の信幸、信繁が駆けまわっていたのかと想像すると感慨深いものがあります。400年の時を超えて、同じ空気を吸っている喜びを感じながら大きく深呼吸しました。
そして、岩櫃城の真田御殿といえば、池波正太郎さんの小説「真田太平記」で昌幸の秘密の部屋「地炉ノ間」がある場所。小説のオリジナルの設定なので史実ではありませんが、ここに地炉ノ間があったのかと思うと興奮を隠せません。

頂上の絶景を目指してひたすら登ります

岩櫃山頂上をめざして 1 岩櫃山頂上をめざして 2

その後は山頂を目指してひた登ります。途中、鎖を頼りに大きな岩をよじ登ったり、野生のカモシカと遭遇するなど気分は冒険家。9合目から山頂までは1番危険なゾーンです。鎖をつかみながら、険しい岩をよじ登りました。
ちょっと足を踏み外したら真っ逆さま、という迫力。危ないので、ここではカメラを手放します。

岩櫃山頂上をめざして 1 岩櫃山頂上をめざして 2

ついに山頂に到着です!
眼下には東吾妻町や中之条町の市街地、目の前には上州の山々が広がります。晴れていたでの、遠く富士山も望めました。
「幸隆公、昌幸公もこの景色を見たんだろうか」と思いながら眺めました。

岩櫃山頂上にて 1 岩櫃山頂上にて 2

群馬県の主な真田の居城といえば、岩櫃城の他、名胡桃城と沼田城です。
次回は、沼田市~みなかみ町にある「名胡桃城」と「沼田城」を旅した様子をご紹介します。

編集:トランス・タイム 細内律子
 
歴ドル 小日向えりの真田ゆかりの地をめぐる歴史旅
真田道 ~長野県上田市から群馬県沼田市~

第1回 群馬県東吾妻町
第2回 群馬県沼田市・みなかみ町 >>
最終回 長野県上田市 >>

 
本ページ内掲載の内容は2016年1月現在のものです。

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